スロットにおいて、とにかく光らせるために必要なものがなにかを考えてみると、無心であることが重要なファクターとなっているようにしか思えないのです。
スロット台は遠の昔からAI機能を搭載していて人の心を読んでいるのではないかとの仮説を立てております。
常に自分で考え光るタイミングを左右できる、いわばナマモノであり生命体であると私は考えています。
そんなスロット台に打ち勝つ方法は、邪念を捨て去ることとみつけたり!( ✧Д✧) カッ!!
(パチ屋に入店してる時点で邪念のカタマリですが、そこはご愛嬌w)
ではそんな人間の欲望などの邪念を捨て去るにはどうすれば良いのか…それは日本古来の方法をとるのが最良なのではないか。
日本古来の邪念を捨て去る方法、それは仏教です!( ✧Д✧) カッ!!
座禅打法
お釈迦様はあらゆる苦行を経験したが、「悟り」を切り開くことができなかった。
その事実を自覚し、菩提樹の下で座禅を組むことで、「悟り」を得る事に成功したと言われています。
このことから、自らに苦行を課すことで「悟り」を得られると思っていたが、そうではなく、座禅を組むことで「無念無想」の境地を確立し、悟りを切り開くことができた。というのが座禅の始まりであり、本来の目的とされています。
「無念無想」とは呼んで字の如く、精神を統一し、何も念じない何も想わない。これこそが真の無我の境地に辿り着くという意味なのです。
つまり!よそ見をしながら打っていると光ったというオカルトはこの話においては事実となるわけですw
さらに、意図的によそ見をしても光らない事実があるということも、生半可な「無念無想」では意味がないということの現われ。
真に、精神統一できるものだけが許される、恩恵なのです。
よそ見打法のような、「棚からぼた餅」的な方法ではなく、さらに突き詰めて意図的にボーナスを誘発させてみようというのが、今回の 「座禅打法」 というわけなのです。
具体的な方法としては、いたってシンプル。
スロット台の目の前で胡坐をかいて、過去も未来も考えず、現在の自分の状況だけをフォーカスして、そのホールの状況に溶け込こみ、生み出される無心を頼りに打つこと。これこそが「無念夢想」の極意なり。・・・w
自分で書いておきながら、矛盾しすぎてるなと思います、はいw 自覚してますw
自らサンドにお金を突っ込んで置きながら、邪念を捨てろとはこれ如何にw
しかし、この厳しい試練を乗り越えてこそ、お釈迦様に近づけるのが、「座禅打法」
まさに仏の顔もサンドまでですなw ぶっしゃっしゃっしゃw (´・ω・`)
しかし、冗談抜きで頭の中空っぽにしたまま打っていくと光る確率が経験上高いので、一概にも馬鹿にできないのが今回のオカルト。
負けによっているときこそ、平常心で邪念を捨てることは、とても重要ではないか思うので実践で試していただきたいものです☆